
僕の断食体験vol.13~力みなぎってきた5日目~
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漢方的便秘とは
5日目の朝7時。いつもよりもスムーズに布団から出て、ぐ~~~と、背伸び。
お腹と背中の距離が昨日よりも狭まっていることを感覚的に感じ、手に腰を当てると昨日よりも確かにグッと痩せた感じがします。お通じがあったせいか、いやそれ以上に痩せたような気もします。
漢方的にも便秘というのは、単に老廃物が溜まってしまって、お腹が張ったり、重くなったりして不快になるということだけではなく、「気」や「血」、また「熱」の流れにも大きな悪影響を及ぼすと考えられています。
例えば、便秘による肌荒れは、大腸と表裏の関係にある肺(皮膚や気管支などの呼吸器系の働き)の「気」の流れに影響し、肌の新陳代謝が下がることに繋がります。また便が滞ると体の上下の「気」の流れも滞り、食欲が低下したり、「熱」とともに「気」が上昇すればイライラもしやすくなります。
つまり便秘は気や血や熱の詰まりを生むものとも言えます。
自身の体の変化を漢方的に分析をすると、昨晩のお通じによって、「気」、「血」、「熱」の詰まりが解消して、全身の代謝が上がったと言えるかもしれません。
体を動かすと新たな変化
体温が上がってきたのか、寒さをさほど感じることもなく気持ちよく部屋の片付けを開始しました。
昨日よりも体が軽い!!少し力も入ってきた感じもある!
これまで眠っていたもう一つのエンジンがやっと動き出したかのような感覚です。
昨日までの脱力感とも違い、ほどよく脱力しているにも関わらず、力は奥のほうからみなぎってくる様な感覚。
その奥の方のエネルギー源の場所はどこだろう・・・。何となく感じるのはお臍のあたりでしょうか。お臍の少し下には丹田という気力が集まる場所があります。
肌も敏感になっているのか、空気に接しているという実感もあります。
自然からも多くの力をいただいていることもよくわかります。
とにかく清清しく嬉しい気持ちで、道場長にもこの変化を伝えたい気持ちになりました。
本来の朝
7時半の静坐の時間がいつにも増して待ち遠しく感じます。静坐までの時間は、外に出て日光浴。
朝日の柔らかい光と暖かさを全身の肌で受け止めるイメージで。何とも気持ちが穏やかで、しかし一方で力もみなぎってきます。
少し大げさかもしれませんが、「よーし!今日も一日精一杯生きよう!」そんな気分になります。
見上げれば今日は雲ひとつ無い晴天。
視線を落とせば、生命の息吹が溢れ出ているような真っ赤な紅葉と、彩黄色のイチョウの葉が、目に飛び込んできます。何かすごい・・・・。
目には見えないけれど、植物以外の様々な生物も、この朝日や澄んだ空気を受けて、「よーし!今日も一日、精一杯生きよう!」と一斉に動き出している。そのような迫力を感じます。
これが「本来の朝」というものなのでしょうか。
そう考えると、やはり一人で生きている訳ではなく、多くの命の関係性の中で、今の自分が成り立っているという事にも気づかされます。
そして、自分の命も祖先から引き継いだもの。大切に扱わなければなりません。
目には見えないものを見るという意味の「観る」という言葉がありますが、私の「観る目」が相当に曇っていることを実感できた経験になりました。
改めて、「よーし!今日も一日、精一杯生きよう!!」朝はこういう前向きな気持ちになることが、人間を含め多くの生物にとって、自然体なのだと思います。
肺の気も復活
そして、いつも以上に、張り切っての静坐。昨日よりも声がでました。肺の気も復活してきたようです。
私の多少の読み間違えや抑揚の違いを、相変わらず全く気にも留めない道場長と世話係の男性。
それくらい集中しているのかもしれません。
一人一人が、今日も精一杯。
それでいい。それがいい。
そう思ってからは、読むことだけに集中。
読み終わった後には、自分でも感じていなかった心の垢のようなものが、取り除かれたような感覚になります。
いつの間にか見えない埃は積もるもの。
静坐と、それに続く朝の掃除は、自分でも気づかない心の垢を観る目を養う良い機会なのだと思います。
未知なる道へ
静坐の後、道場長に昨日のお礼と体調の変化を伝えたところ、もう少し運動量を増やしてみてもよいというアドバイスをいただきました。
ふと思い浮かんだのは、実は前々から気になっていた山道の入り口。
いつも通り、掃除を済ませ、梅醤番茶と10時の味噌汁を有難くただだき、早速、まだ足を踏み入れていない山道の入り口へ。
どこへ繋がっているのだろうか・・・。
たった一人。人気の無い山道。食料なし。極度の方向音痴。体力未知数・・・。
怪我をしないこと、動物に襲われないこと、太陽を見失わないことを自分と約束し、入り口に、手を合わせ、一礼。
不安と期待を胸に歩を進めます。
<次に続く:僕の断食体験vol.14~命とは、生とは、死とは~>
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